今まで生きてきて勘違いしていたこと

 ずっと間違いないと信じて疑わずにいたことが振り返ると誤っていた、勘違いしていたということが往々にしてあなたにもあったと思います。

 なぜそのような勘違いに至ってしまったのか、今からでもどのようにして生きていけばいいのかお伝えできればと思います。

「自信がないように振る舞う」=「謙虚」と思っていた

  まず、謙虚であること自体は間違っていないし、今でも正しいと感じています。

  実際、「知識や技能、才能が上の人なんて山ほどいる。それに才能や結果に胡座かいてる人より、謙虚でいる人の方が尊敬できる。」と思ってますし、胡座をかいてて態度に出すような人はいずれ周りから嫌われ、足をすくわれるのだろうと思っているからです。

 しかし、その当時思っていた「謙虚」とは、従来の(大まかな意味で)「調子に乗らず控えめであり、他者から学ぶ姿勢を持つこと」に加え、なぜか「控えめ」の部分に「自信がない」こともセットで考えていたからでした。

 今思えば、本当に自信がなかったとしても「上には上がいるけど自分はまだまだ上手くなれる、向上する!」と前を向いて真剣に物事に取り組んでいくことが正解だったと反省しています。

怒る人はその人を思って怒っていると思ってた

 このパターンは確かにあるとは思いますが、明確な違いがあります。

 それは「日頃の接し方から愛を感じるかどうか」です。

 20代の頃、当時勤めていた職場のとある部署で先輩方から毎日のように怒られていました。自身の至らない点が多々あり反省すべきところがあったことも事実ですが、私より先輩が何かミスしたり、前日飲みすぎて何度か遅刻しても笑って済まされてる一方、それらより遥かに小さい「なんでこんなことで?」と今でも納得いかないことでも怒られていました。途中で何か怒る口実を見つけては必要以上に怒鳴っていることが感覚でわかり、それを裏付けるようにそれから数年に渡って複数の部署を経験した際、ここでも先輩方から怒られたり注意されたりすることもありましたが、頻繁にではなく、言い方も感情的でなく、また、日頃優しく接してくれたり雑談したり冗談を言い合ったりできる仲で、怒られる時もほぼほぼ自分に問題があったと自覚できるものばかりでした。

 のちに名著「嫌われる勇気」を読み、目的論の話を読み、まさに同様の事例をあげていたので大きく頷く部分がありました。(本書は本当に読んでいただきたいです!考え方大きく変わり、気が楽になります!)

大人になると心も成長して真面目になると思っていた

 子供は残酷にも正直で、悪気がない場合であっても傷つく言動をすることが多く、自身を振り返ってもあの言動はマズかったなと反省することが多々あります。

 私は学生時代を終え、社会人となり同期と接していくにあたり、学生時代のノリが残りつつも同じ苦労をし、同じ目標に向かって(私は足を引っ張ってばかりでしたが)切磋琢磨しながら研修を乗り越えた経験があるのですが、まあ本当に素晴らしい同期ばかりで、怒られたり指摘受けた時も自分に落ち度があった時であることが多く、また、適度に冗談やイジリは受けつつも学生時代に必ずいた性格悪いヤツはおらず、「大人になるってこういうことか!」と思えるほどで、社会人はみんな様々な経験していじめや嫌がらせなんてしょうもないことなんてしない人達ばかりなんだと思ってました。

 ところが、同期達がマトモだったから気付きにくかったのか、研修を終え、いざ現場に出て働き始めると人が見てないところで幼稚で陰湿な嫌がらせをしたり、ズルしたり、(「2」で挙げたような)感情や好き嫌いで言動がコロコロ変わる人達は残念ながら一部いました(同期達もそれらを経験して悪い方に染まっていってないことを切に願います・・・)。

 この経験を通じ、「人間関係なんて学生時代の延長である」、「大人になっても人は感情で物事を判断している」と絶望しましたが、自身も感情で判断したり、損得勘定が働き手を抜いたりしたことはあることから、「結局はお互い様であり、不必要に人を傷つける言動はいけないが、世の中は誰かが得すれば誰かが損するパイの奪い合いなのだな。」と学びました。

真面目な人が報われると思っていた

 確かに「真面目」であることは周囲の助けを得られやすく、印象も悪くないです。私もそういう方といる方が安心感を覚えます。

 それは幼い頃からそれは分かっていたつもりで、完璧でなくとも少なくとも悪目立ちしないよう不良的な言動は極力避け、「真面目だね」と言われることが多かったです。

 しかし、すでに多くの方が感じていることと思いますが、「真面目と言われる」=「面白みがない、褒めるところがない」ということに20代の後半になってから気づき、しかも自分を含め比較的真面目そうな印象しかなかった子は大人になってから何かで成功したという話はほとんど聞きません。

 反対に調子に乗ってたり、性格悪かったり、真面目とは程遠いヤツの方が仕事では望んだ部署に異動できたり、上司に気に入られていたりで望んだワークライフバランスを送れており、学生であれば楽しいかは別として無難な学生生活を送れ、誰かから軽く見られてたりやりたくないことを押しつけられなかったりといった印象でした。

 もちろん、真面目な人でも順調な人生歩める人はいますが、それはただ真面目であるだけなく、結果を残しているからです。悔しいですが人は結果で判断されるので真面目でなくとも結果さえ出せばただ真面目な人よりは世の中的にはマシだし、上司も評価しやすく大切にされやすい印象です。

まとめ

 「1」にあっては当時、自己肯定感がとても低く、褒められてもお世辞としか捉えてなかった時期があるので、「(実際にお世辞であったとしても)いいところがあったからこそ、口に出して褒めてもらえた」と前向きに考えるべきだった、疑心暗鬼になりすぎていたかなと思います(明らかな嘘やバカにしたような言い方は感覚でわかりますし)。

 「2」〜「4」に関しては、

  子供の頃に思い描いていた大人って、全然大人じゃない!子供の頃にやっていた悪行を行うことはあるし、それが多少巧妙になるだけ

 という感じです。暴言、暴力は減った印象ですが、何かと口実つけて陰湿な言動とったり、感情で物事を判断する人も一定数いるのが事実です。

 しかし今覚えば、大人になってから色々不満があって我慢せざるを得ない状況も実は組織(職場に限らず様々なコミュニティ)の慣習や構造上の問題で先輩方自らの口では言いづらく、釣れない対応を取らざるを得ず、板挟みになっている可能性を否定できないといった状況も経験したので、月並みですが「世の中の不都合には複雑な事情がある」ということですね。

 そして、自分の子供にこれらのことを伝えたくても自分ごとに捉えられず理解が難しいと思し、変に解釈されたり世の中に絶望を抱えたまま子供時代を生かすのも可哀想です。

 不都合な事実を教えつつ、希望を持って生きられるよう導いていくのが自分達の使命だと思うので、色々模索しながらこれからも試行錯誤して生きていく所存です。

 長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

タイトルとURLをコピーしました